※「慰霊の日」2007年06月23日 00:58

父親の兄弟は8人いたのですが5人が戦争の犠牲になりました。
それもあと2週間程で戦争も終わろうとしている時、みんな一緒に
亡くなりました。

沖縄戦では軍民合わせて20数万人が亡くなりました。
(鉄の暴風)といわれる海上からのおびただしい艦砲射撃がありました。
空からの爆撃がありました。
国内で唯一地上戦が行われ大勢の沖縄県民が
家族を連れて北へ南へと追われ
途中で親の死を看取り、子供の死を看取り
死体をおぶって逃げ惑ったそうです。
家族が全滅と言うのもめずらしくありません。
日本兵から手榴弾を渡されて米軍の捕虜になって辱めを受けるより
自決をしなさいといわれたそうです。
切れる刃物を探して家族で殺しあったそうです。
自殺の道具を持たない人は海へ身を投げたそうです。
みんな死にたくはなかった・・・・
間違った教えを信じて、又、逃げることも出来ず強制されたものです。

今、教科書からもこのような事実が消されようとしています。


沖縄最後の激戦地となった摩文仁の海は一面赤く染まって人々の叫び声が響き渡っていたと聞きます。
6月23日は沖縄県の「慰霊の日」にあたります。
戦争で犠牲になられた方のご冥福を心からお祈りいたします。
戦争を2度とおこさない事を願って・・・・

写真は戦争で犠牲になった軍人、非軍人、国籍を問わず刻銘されている
摩文仁の丘の「平和の礎」です。平成18年現在24万名あまりが刻銘されています
私のおじさん、おばさんもいます。
今年も200名あまりが追加刻銘されました。

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